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3.11より4年目を迎えて

 東日本大震災1年後3月10日警察庁のまとめではお亡くなりになられた方1万5,854名、行方不明の方3,155名、負傷された方26,992名。 
4年後の発表では亡くなられた方と行方不明者は、1万8,475名。震災関連死は、国のまとめで3,000名を超え、「関連死」を含めた震災による死者と行方不明者は、少なくとも2万1,668名に上っています。 うち83遺体がいまだ身元不明の状態です。 天候不順のさなか今回も集中捜索が行われました。

 お亡くなりになられた方のご冥福と今なおご不明の方々の発見をお祈り申し上げます。
 今回の震災 救急隊、自衛隊、数多くの方々の救助が報道されました。しかしそのなかでいまだに報道されていない方々がおられます。 迷惑施設のひとつであるがゆえに報道されなかった火葬場関連の方々の懸命な復旧作業に感謝いたします。


 火葬研の代表で、東京電機大学建築学科名誉教授八木澤氏が震災より」1年後、各雑誌に寄稿された震災においての火葬場のあり方についての記事が印象的でしたので、そのときの文言を引用させていただきます。 ご自身の火葬研のHPへの寄稿より深く、詳しく述べられています。この方は映画「おくりびと」で撮影に使われた酒田市斎場を30年以上も前に設計された方です。 昔日本建築学会の賞もとられてますが、巷の建築家と違い作品ではなく論文部門、つまり「死」についてです。

 仮埋葬は本当に適正だったのか、なぜ何度もご遺体を晒さないといけないのか、
”われわれのの責務は残された人のために火葬の時に泣かれる一度で済むように努力すること、そのために何が出来るか。” と述べられています

 阪神大震災のときも厚生労働省から仮埋葬の通達が出てしまいましたが、関西中の火葬場の協力により、厚生労働省通達に逆らい、仮埋葬は実施されませんでした。 交通が分断されていようが船などあらゆる手段を使い、遠くは南紀白浜の斎場までお借りしました。 厚生労働省は今回も阪神大震災と同じ処置を講ずるということで、仮埋葬の通達が出てしまい、メディアがこぞって仮埋葬関連のニュースを報じ、混乱を招きました。
 斎場関係者、バーナー各社、電源関係各社への復旧指示通達よりも阪神の時と同じく仮埋葬への指示が先に出されてしまったこと
 バーナーやバッテリなど設備会社が全国より懸命に掻き集め復旧を図ろうとしている中、またしても安易に仮埋葬の通達がでてしまったことへの混乱、通達により復旧ができないと思い込んで仮埋葬されてしまった自治体があったことなど、行政に対する大きな問い投げかけられています。

 その自治体とは宮城県で、岩手や福島では行いませんでした。石巻市993人、気仙沼市228人、東松島市369人、亘理町123人、山元町154人、女川町241人、6市町合計2,108人が仮埋葬されたあと半年から1年後に火葬のため掘り起こされることとなりそれがきっかけで心が折れてしまうという事態を招きました。

 ご遺体発見の確認で1回、仮安置で1回、仮埋葬で1回、火葬のための掘り起こしで1回、火葬場にてのお別れで...実際には3回どころではない苦しみをご家族に味あわせる事になりました。

 迷惑施設であるがゆえに僻地に追いやられ結果的に津波の被害が少なくかったのですが、火葬のための燃料の確保に苦労されました。 また最大の被害であったのが名取市閖上にある貞観堀と広浦という海に浮かぶ斎場として有名な名取市斎場(設計:針生承一建築研究所日経アーキテクチュア1995-5-6号記載)は7mの津波にのまれ大きな被害にあいました。 しかし名取市では仮埋葬は遺族を傷つけるとして斎場が被災したにもかかわらず火葬という信念を貫きました。2週間後の25日に仮復旧していますが名取市からの各方面への要請は14日、実質10日で瓦礫の撤去、葬炉用バーナーの整備、燃料の確保を行われました。

ドライアイスや電源などない中でご遺体の傷みの限界でした。 窓枠や大きく穿った箇所はベニアで塞いだだけの空間でしたが、 火葬ができるだけで喜ばれましたが、生活が安定すると人は感謝を忘れてしまうものでこんなみすぼらしい施設で旅立たせるのかなどのクレームが入り、同じ針生承一建築研究所の設計で改修が終わったのは2年後のことでした。  ご遺体の尊厳をいかに守るか格闘なさった方々に感謝いたします。


参考
火葬研
日本葬送文化学会「埋葬文化」
日本建築学会弔ふ建築 終の空間としての火葬場
建築ジャーナル2012年2月号「死」の空間を豊かにする。