60周年を迎えた現在、7つの事業を
軸に発展を続ける大洋工芸。
その根底を支える技術力・
企画力のルーツとなるのが、
「マネキン造形技術」「レンタル什器」
「内装事業」「VP装飾」の4つ。
その取り組みの歴史をご紹介。
MANNEQUIN
ファッション界にも影響を与えた大洋工芸の原点
大洋工芸の始まりは、マネキン製作から。
寸分狂わぬボディを作り上げる造形技術は、
マネキン以外の商品開発にも転用され、
新たな事業を生み出しています。
ここでは、そんな大洋工芸の原点である
マネキン事業の象徴的なトピックをピックアップ。
▲ 創業当時のマネキン
TN-7(1962年)
▲ アミコボディ(1968年)
1960年、大洋工芸はマネキンメーカーとして出発しました。当時のマネキン製作は、楮製紙(ちょせいし)と呼ばれる和紙を主素材とした紙を、糊で固めた製法が主流でした。しかしその後、レンタルビジネスが始まる中で、紙製では破損しやすくレンタルが困難に。そこで、繊維でプラスチックを強化したFRP製のマネキンが開発され、そこからレンタル事業が急速に拡大したのです。
▲ 創業当時のマネキン
TN-7(1962年)
▲ アミコボディ
(1968年)
その頃、ファッション界はまだ既製服が開発されておらず、人々が服を買う時は、生地選びや採寸を経て完成するフルオーダーがスタンダードでした。一方アメリカでは既製服の概念が生まれており、「日本にも既製服の時代を」と日本へその概念を持ち帰ったのが、ファッション界の重鎮である鯨岡阿美子氏でした。しかしながら、きちんとした既製服を作るには、正確な寸法で作られた人台(ボディ)に布を巻きつけ裁断する立体裁断技術(ドレーピング)が必要。そこで、白羽の矢が立ったのが大洋工芸です。大洋工芸は、その造形技術の高さをもって、協力会社と共同で正確な寸法の発泡スチロール製ボディを開発。既製服人台の商品化に成功しました。
これが後に、長きにわたり、アパレルメーカーや縫製技術者を育てる専門学校などで愛用されることになる「アミコボディ」です。そうしてその後、アミコボディの功績によって、市場にたくさんの既製服が流通し始めました。その動きは、後に大洋工芸の主軸となるレンタル什器ビジネスの拡大にも繋がっていきました。
もう一つ、大洋工芸の強みを物語るマネキン商品が、2008年に開発し「TFS-0123プリア」です。プリアシリーズは、傘やメガネ、ピアスなどの洋品雑貨から、ヘッドホンやスマートフォンなど時代に則したシチュエーションを演出する小物をしっかりと身につけられるフレキシブルなマネキンです。
この背景には、2006年頃より、帽子やアクセサリなどの洋品雑貨をディスプレイするVMDツールを次々と開発してきた実績ノウハウがあること。さらに、自前の工場を持ち、ポージングの細かなオーダーへの対応や、素材研究などに対応できたという大洋工芸の強みがあります。
▲ プリアシリー TFS-0123(2008年)
腕や手首が可動し、
各ボディパーツの
組合せで729通り以上のポーズ
バリエーションを可能にした。
▲ プリアTFS-0130(2016年)
2018年には、マネキンの製造技術を転用し、重機なしでは取り扱いできない重量のある岩を、写しの技術で再現した軽量な岩「造石」を開発。希少価値の高い岩や、灯籠などの石の造形物を複製し、マネキンメイクで培った彩色技術でリアルに再現するものです。
そして今やマネキン製造もデジタル技術によって、よりリアルで多彩なポーズの実現が可能に。
例えば、3DCGゲームや、3Dアニメーション映画の
世界で使われるモーションキャプチャーを
活用することで、人間の動きの一瞬を切り出して
厳密に再現し、リアリティのあるマネキンの
造形を実現しています。
VP DECORATION
“クリエイティブの大洋工芸”を象徴する柱の一つ
視覚に訴える演出で、ブランドコンセプトを表現する
VP(ビジュアル・プレゼンテーション)。
大洋工芸は造形技術と企画力を武器に、時代の先端を
いく革新的な展示方法を模索し続けてきました。
その創作マインドは今も受け継がれ、
柱の一つとなっています。
▲ 大丸京都WDディスプレイ(1960年代)
ショップの“顔”となるディスプレイ装飾は、来店のきっかけを作る重要なものです。大洋工芸は創業期より、クリエイティビティを発揮した“他にない”装飾に力を入れ、中でも数年にわたり続いた大丸京都店の「ネズミのウィンドウ」の装飾は、地元のファンも生み京都の風物詩になるほどでした。大洋工芸のVP装飾は、ただ無造作にマネキンに服を着せるのではなく、造形物やファブリックを大胆に組み合わせ、ブランドの個性や世界観を迫力ある演出で表現。2004〜2006年にかけては、建築やインテリアなどあらゆる分野のデザインの祭典「デザイナーズウィーク」にも参加。大洋工芸の装飾展示は、業界誌や海外のVMD誌にも取り上げられるほどでした。
▲ 大丸京都WDディスプレイ
(1960年代)
大洋工芸のVP装飾は、ただ無造作にマネキンに服を着せるのではなく、造形物やファブリックを大胆に組み合わせ、ブランドの個性や世界観を迫力ある演出で表現。2004〜2006年にかけては、建築やインテリアなどあらゆる分野のデザインの祭典「デザイナーズウィーク」にも参加。大洋工芸の装飾展示は、業界誌や海外のVMD誌にも取り上げられるほどでした。
▲ 大丸福岡天神クリスマス装飾(2017年)
▲ デザイナーズウィーク(2004年)
▲ 大丸東京WDディスプレイ(2007年)
RENTAL FURNITURE
百貨店の事業の広がりとともに次々と新商品が誕生
売場でオープン販売が主流になるにつれ、大洋工芸の
主戦場もマネキンからレンタル什器へと拡大。
中でも独自開発したユニット什器が大ヒットし、
全国展開を一気に進めました。
その後、百貨店市場の要求に応じて、
さまざまな商品が生まれました。
▲ 大ヒット商品となったTS-305(1968年)
▲ TS-500 キューブシステム(1972年)
▲ 生地掛什器 TS-75(1962年)
大洋工芸で最初に開発された什器は、生地掛でした。既製服がまだない1960年代、売場では対面販売で生地見本を見ながら注文を受ける、今で言うフルオーダーが主流。反物の生地を陳列する生地掛が必要とされたのです。その後、先に登場した「アミコボディ」の功績もあり、市場では既製服が流通し始め、必要とされる器具の需要も、生地掛から棚什器へと変わっていきました。
各社が棚什器を開発していく中、大洋工芸は自在に組み替え可能なユニット什器やシステム什器を数多く生み出しました。1968年、ディスプレイ業界において初の、金型による量産化を実現したユニット什器「TS-305」(実用新案を取得)は大ヒット商品に。フレームを自由に組み合わせ、色んな高さや幅にできるもので、短時間で同じ品質のものを量産できる点においても優れていました。今はスタンダードとなった、大洋工芸のユニット器具シリーズの原点と言える商品です。また1972年、六角レンチ1本でパネル状素材を立体構成し、什器や売場までも構成できてしまう「TS-500キューブシステム」を発表。こちらも実用新案、そして後に特許も取得するに至るヒット商品となりました。
▲ 大ヒット商品となったTS-305
(1968年)
▲ 生地掛什器 TS-75(1962年)
▲ TS-500 キューブシステム(1972年)
1960年代後半、高度経済成長期の好景気を受け、百貨店では次々と大改装が行なわれ、売場も対面販売からオープン販売へ。大洋工芸も1968年に京都大丸のヤングフロアの内装工事を手がけたことをきっかけに内装事業をスタートさせ、1970年代に入ると、什器主体から内装施工主体へと移り変わっていきました。そんな中、レンタル什器の主戦場は催事場へとシフト。催事場は内装壁面がないため、壁面を構成できるニッチ什器が開発され、1975年に発表されたのが「TS-490ウォールパック」です。催事場で必要なベーシック什器をシリーズ開発し、その一つであるシングルハンガーは、他社に先駆けて上下可動機構からオリジナルで開発したものです。「キツツキ式TS-570」「プッシュ式TS-599」は、1978年に実用新案を獲得しました。1982年、初の”折りたたみ式ショーケース”「TS-651」を開発(実用新案取得)。百貨店の店外催事で宝石などを陳列するためのケースは、当時組み立て式ショーケースしかなかった時代。ショーケースとしては初めて運搬可能なキャスター付きでした。しかし1台100kg近い重量となったため、TS-651の登場をきっかけに営業所のトラックにはパワーゲートが導入されました。また、それまでネジで固定されていた什器でしたが、新しくマジックテープという固定方法が導入され、1989年、「TS-778フリーパネル」が誕生しました。
▲ キツツキ式 TS-570
(1978年)
▲ プッシュ式 TS-599
(1978年)
▲ 初の折りたたみ式 ショーケース
TS-651 コンパックケース
(1982年)
▲ TS-778 フリーパネル
(1989年)
1990年バブル期、百貨店では、外商や特別招待販売といった文化催事で、絵画や美術品の販売が盛んとなっていきます。催事会場となったホテルなどの現場では、表具パネルを立てるために毎回大人数の大工さんを要しました。そこで大洋工芸が開発したのが、「TS-830パネウォール」です。「間仕切り構成部材として開発されていたフリーパネルの連結方法を生かせば、同じように会場に壁面を建てられるのでは?」という発想で開発された本商品は、フリーパネルよりも高級感があり、文化催事での絵画展示で活躍しました。やがて主流商品となり、後に特許も取得。絵画などのアート作品の販売を行なうアールビバン社やグランプリアート社などを顧客とした新たな事業獲得にも繋がり、大洋工芸では初の特定商品専門部署パネウォール課が設置されました。その他、1994年には従来のバックパネル埋込式のレールコンセントとは異なる、マグネットで脱着可能なレールコンセントを開発。照明が無い既存什器にも、後から簡単に棚下灯を取り付ける事が出来るようになりました。そして1996年には、百貨店のミュージアムホールや美術館へとレンタルするミュージアムケースの開発にも注力。文化事業にも乗り出すことになりました。
▲ TS-830パネウォール
(1993年)
▲ TS-880ミュージアムケース
(1996年)
百貨店のみならず、
新市場へ多角的な事業を展開
新市場開拓とデジタル化
1996年にはじまった文化事業(ミュージアム事業)に続き、1999年にはブライダル市場向けの事業展開もスタート。団塊ジュニア世代が適齢期に入り、婚礼市場が伸び始めたことに着目し、ブライダルフェアや貸衣装の試着会などに向けた商品を開発しました。また、時を同じくして、パソコンの普及によるマルチメディアの時代が到来。ブライダルフェアで配布する販促プロモーションビデオの制作や、デジタル映像を使ったディスプレイ装飾など、デジタルコンテンツを用いたサービス展開も進みました。
そうして社内のIT化も推進し、百貨店で毎週行なわれる催事平面図を、過去の類似データをもとに自動で平面図を作成するアプリ「催事システム」を開発し、特許を取得。その後、CADのテンプレート機能を活用したソフトウェアを開発。これによって図面スキルのある人しか描けなかった催事場平面図を、担当営業が作成できるようになりました。さらに1996年に開発された「TS-878ラックルシステム」は、ストアを魅力的に構成する展示用のシステム什器として活躍。展示会でも活用できるように継続開発され、住宅設備メーカー株式会社ノーリツの展示会受注などにも繋がりました。このような経緯のもと、2000年、大洋工芸は、STORE、EXHIBITION、BRIDAL、MUSEUM、DIGITALの5つを事業軸に、新市場の開拓・拡大を進めていったのです。
▲ 試着会向けのTS-911
ドレスハンガー(2000年)
▲ TS-911メイキングポールを
用いた演出
(2000年)
▲ TS-878ラックルスシステムの
展示会活用例
(1996年)
▲ 催事システム(2001年)
マネキン・レンタル什器を入口に、ディスプレイや内装など事業を広げていった大洋工芸。2006年には、ToolのTAIYOを宣言。BIGシリーズやVMDツールシリーズを次々と開発。これが百貨店改装時に洋品雑貨売場の受注につながり、2000年代の大丸・松坂屋グループの百貨店改装で大きく飛躍することとなりました。そして2010年には、事業の柱を「7つのチカラ」——レンタル什器・マネキン、造形製作、商空間・内装、ディスプレイ・VMD、デジタルサイネージ、美術品・工芸品展示ケース、食品催事と定め、発展を続けています。
▲ TD-0453ビッグシリーズ展開例
(2009年)
▲ 洋品雑貨を演出する
VMDツール
(2007年)
▲ 実演囲い(2007年)
▲ 冷蔵対面クローズケース
(2007年)
▲ デジタルサイネージ
施工例(2011年)
▲ 大型造形物 実物大くじら
(2010年)
▲ 勝山恐竜を模した造形物
(2017年)
▲ 商空間を演出するTS-0962
モーダ(2010年)
▲ 文化催事に活躍するTS-
0965ルッソ(2010年)
市場の声に耳を傾け、常にスピーディに、
フレキシブルに、粘り強く、進化を遂げてきた
大洋工芸。
省エネルギーや人手不足など、
現代ならではのキーワードにもアンテナをはり、
什器照明の省電力化や、
少人数の店舗スタッフでも
販促を支援できるツールの開発にも注力。
また、時代とともに人々の消費行動はこれからも
どんどん変化し、モノ消費からコト消費、
そして、
“その時、その場所でしか楽しめない”
「トキ消費」はさらにスタンダードになっていく
中で必要とされる
レンタルツールの開発にも
取り組んでいます。これからも大洋工芸は、
新しい技術・デザインの追求を続けていきます。
SPATIAL, INTERIOR
マネキン・什器開発で培った企画力を内装設計に
百貨店市場の要求に応じて、革新的なマネキン・
什器商品を次々に開発してきた大洋工芸。
自社工場を持つ故のフレキシブルな対応力と独自性を
追求する企画力が、
今や事業の柱の一つである
商環境・内装事業へと繋がっていきました。
▲ 横浜髙島屋ヤングフロアーの大改装(1973年)
マネキン製造から始まり、レンタル什器へと事業を広げた大洋工芸が内装事業をスタートさせたのは、1968年。大丸京都店の大改装でヤングフロアーの施工を任されたことがきっかけです。従来は、内装設計会社が請け負っていた内装工事を、「従来デザインからの脱皮と斬新性を」という狙いでマネキンメーカー各社が指名を受け、大洋工芸はヤングフロアーの設計施工を担当。大洋工芸の武器でもあるユニークで斬新なアイデアは高い評価を得ました。これを皮切りに、大洋工芸も内装事業へと参入していったのです。
▲ 横浜髙島屋ヤングフロアーの大改装(1973年)
1970年代以降、レンタル什器の取引を通して売場作りにも積極的に関わっていた大洋工芸の事業は、什器主体から内装施工主体へと本格的に移行していきました。取引先も百貨店以外のアパレルメーカーや海外ブランドへと拡大。そうして1985年には、大洋工芸の歴史において大きなトピックスでもある、ベネトン事業が始まりました。これは、イタリアのカジュアルファッションブランド「ベネトン」が日本出店を進めるにあたり、その店舗の設計・施工を大洋工芸が担ったもの。約10年にわたって続いた事業で、当時はベネトン事業所も設置され、最盛期には年間100店舗以上…3日に1店舗の勢いで新たにオープンするほどでした。大洋工芸に白羽の矢が立ったのは、全国に営業所があったことと、自社工場を持ち、金物を扱えたことが大きな理由です。店舗作りにあたっては、壁や天井を構成する鉄板のパネルを作るところから自社で行ないましたが最初は苦労が続きました。図面通りに作っても、必要な厚みに仕上がらなかったり、切断や曲げがうまくいかなかったり。ファサード用のグリーンステンレスの発色も困難を極めました。また、設計においては、日本では入り組んだ出隅をくまなく使いますが、イタリアでは関係なく四角にしてしまう。施工自体は簡単ですが、国土の狭い日本では売場面積がもったいないため、日本用のマニュアル作りも必要でした。1000店舗以上におよぶ店舗を全国に展開できたことは、大洋工芸の大きな強みとなり、その後、フランスやアメリカ発の海外ブランドの日本出店の実績にも繋がりました。
▲ ベネトン店舗施工写真
(2001年)
▲ イタリアから送られてきた図面(1985年)
レンタル什器の需要が減少していく中で、現在は、百貨店の装飾や商業施設の店舗デザイン、ポップアップストア、展示場の内装企画〜設計・施工といった、商環境作りをサポート。ラグジュアリーブランドのウィンドウディスプレイや自動車メーカーのショールームなどブランディングに影響する企画・設計力も大洋工芸の得意とするところです。
長年百貨店との取引で培ってきた、魅力ある売場作りのノウハウはもちろん、自社工場でオリジナル什器の製作まで合わせて担えることも強み。ブランドイメージに沿ったデザイン、ローコストでの商環境創りをプロデュースしています。
▲ ポップアップストア施工例(2019年)